順境と逆境

人間は、常に順境にあるわけではない。順境は逆境の克服ではなく、逆境に誘うはたらきを牽制しているにすぎない。それとは対照的に、逆境は順境の制圧ではなく、順境を求めるはたらきを抑止しているにすぎない。

つまり、そのときどきの人間のあり方は条件が変わればいつでも反転に向かう相互作用の1つの局面をあらわしている。

そのことを忘れると傲慢になったり自暴自棄になる人もいる。それを回避するには何が必要か?

対照性が反転する経験を重ねる中で、そのときどきのあり方は測り合いという微妙な均衡とともにあるのを知ること。そして、順境に際しては、勢いの限界を見定められること。逆境に際しては、情勢を注視しながら可能性を切り開く創意を試せること。

どちらにあっても引き継ぎ合いの推移を見逃さず、いつでも反転に対応できる柔軟な思考力と行動力を蓄えておくこと。

そのようなあり方が、きっと生きる意味を深める。

上記は少し前の入門英会話の冊子の特集の一部で、自分の手帳に書き留めておいた部分。

今日、正月から読み始めたカラマーゾフの兄弟を昔上巻で断念していたけれど、今回ついに読了した。ドストエフスキーの最後の渾身の作品でいつか読み切りたいと思っていたけど、ようやく。

登場人物の陰と陽の部分、それらの微妙な移り変わりやその機微が実に細かにリアルに描写されてて、合理的には語りいれない人間の泥臭い部分をこれでもか、と突きつけられている感じがした。読み終わった後、上記の書き留めた部分とつながる部分もあり、一緒に記録しておくことにした。

上中下と長いしお腹いっぱいな小説だけども、またタイミングを置いて読んでもいいなと思う。

 

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読書メモ『プラハの春』

権力悪を抑えるための民主主義が、有効な活力を持ち続けるためのエネルギーは、人間ひとりひとりがもっている感受性と感性に支えられる行動力でしょう。
でも、権力は、その行動力を必ずしも歓迎しない。権力は、人民に従順と服従を要求する。しかも、権力は、支配体制に都合が悪い個人の感受性や感性に根ざす行動を規制し統制するでしょう。その結果、権力体制はどうしても硬直化する。